シンメトリーに煌めく世界。
読んで下さってる方はSixTONESの中でどのコンビが好きですか?
自分の担当くんのシンメって誰だと思いますか?
あっわたしは永遠にほくじぇが好きなんですけどね。
(あくまでもわたしの考えですが)SixTONESの中では、シンメというものがまだ完全に確立していないのが現状だと思うし、まだまだ売り出し中の身である今の時点で確立すべきものでもないのかもしれない。
それでも、やはりジェシーのシンメといえば京本だと感じている人が多いように感じる。実際、SixTONESとして2人はセンターであることが多く、現在はツインボーカルのような体制。
しかし、前述の通りわたしは、SixTONESがそのような体制で活動を続けている中、しぶとくしつこくほくじぇの沼から抜け出せずにいる。
わたしが何故ここまでほくじぇを推し続けているのか、もしかするとその理由は(ウェルほくされかけた過去を持つ)わたしのエゴなかもしれない。若しくは理由なんて無く、「なんとなく好き」なのかもしれない。
でも今回は頭の弱いわたしが、さも研究者であるかのように分析チックに話を進めていきたいと思う。
でもわたしは頭が弱い。(大切だから2回言った)
みんな温かい目で見てね❤︎
シンメトリー【名・形動】
物体もしくは美的対象の構成が中心軸をめぐってその色,形,性質が左右または上下に同形に配置され,両者が均整,相称な関係にあること。
シンメトリーな図柄を目にすると人は、無意識的に、堂々とした安定感や安心感を覚える。
反対に、非対称であるアシンメトリーの場合は、躍動感や自由さ、そして儚さを覚える。
なるほど、わたしの中でほくじぇは、両者が均整,相称な関係にある“美的対象”だったのか。
そして、ジェシーくんが点や線を中心にして北斗くんと対称な位置にいるときにわたしが感じていた“あぁ〜やっぱりここだなぁ”という気持ちは、(わからないけど多分)本能だったのか。
深く意味を考えず、立ち位置が対称な2人をシンメと呼んでる人がいるかもしれない。
でも、本来の言葉の意味を尊重した上で考えると、ほくじぇはシンメトリーの安心感、京ジェはアシンメトリーの儚さにそれぞれの魅力があるのではないか。
ただ一方で、ほくじぇの両極端な性格はアシンメトリーであり、京ジェの代名詞である歌に対する姿勢はシンメトリーであると言えるようにも思う。
えっ、まって、今自分で書いてて気付いた………
それぞれ違った部分で、安心感と自由で儚い雰囲気を兼ね備えてるんだ……だから誰にジェシーくんの隣にいてほしいかこんなにも葛藤するんだ………
あ〜…なるほどね……しんどい………!!!(自己完結)
というかめちゃくちゃ今更だけどそれはこのコンビに限ったことではなくて、SixTONESはどのコンビにも違った魅力があってほんっとうに全部のコンビが素敵なの!
ここまで話しておいて結局辿り着くのはそこなの?って言わないで。頭が弱いんだってば(;_;)
そんな中でもやっぱりほくじぇには、ずっと特別なふたりでいてほしいし、わたしもしつこく2人をくっつけようとする中学生男子のような存在でいたい。
だって何気なく寄り添っただけで綺麗なハート型になっちゃうふたりなんて他にいる?尊くない?尊いよね?いや間違いなく尊すぎる。
正直、ほくじぇを推している身としては京ジェが当たり前になりつつある世界に寂しさを感じている。
でもちょっと違う考え方をしてみると、京ジェは職場、ほくじぇは家、でもどちらもなくてはならない大切な存在、みたいな、そんなのもまた趣があっていいのかな、なんて(わたしは今何を言っている?)
だから、つまり、結局、2人は物理的に隣にいなくても、お互いの還る場所であったりするのかもしれない。
安心して本来の自分を出せる場所の大切さ、自分のことを誰よりも見てくれて理解してくれる人がそばに居てくれることの心強さ。
そんなふたりが同じ道を歩いて一緒に未来に向かっていけること、きっと当たり前じゃないし、かけがえのない場所を大切に守っていきたいね。
3月のあの横浜アリーナという舞台で、あんなにも堂々とバックハグをした
ほくじぇちゃんフォーエバー(∩^o^)⊃━☆°.*・。